大宮部屋ブログ

VR大好き大宮部屋です

経験が強いお年寄り、1000時間折れない。

VRChatに1000時間生きた

2年と4ヶ月間、割と途切れることなくVRChatを続けてきて、ついにこの現実に生きた時間が1000時間を超えました。
VRChatterはタフな人が多く(生存バイアスによって観測されやすいだけかもしれませんが)1000時間を「チュートリアル」呼びする文化が根付いています。
体は大丈夫なんかいと心配にはなることを除けば、この言い方は全然嫌いじゃないですよ。
その世界を知りたければとにかく飛び込んで多くの時間をともに過ごせというのは、ベストセラー作家の高野秀行さんの言葉です。
高野さんの飛び込んで行き先は、ミャンマー少数民族ゲリラとか、ソマリランドの部族とかなんですけれど、VRChatも似たようなものでしょう。

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VRC1000時間生活は「チュートリアル」呼ばわりされている

無事にチュートリアルを終えたことですし、ここ半年ほど下書きにしたままでまとまらなかった文章を供養的に記しておこうと思います。

「経験が強いお年寄りは、折れる」

以前の記事で書いたように、昨年日本VR学会の「VR技術者認定試験」というものを受けました。
教科書の内容の古さや、試験が易しすぎることで実質全プレ状態の資格だったという部分に目をつぶっても、勉強を通じて得た知識は普段の私の思索の役に立っています。

その12月のアプリケーションコース試験実施に先だって、clusterにて勉強会が催されました。
イベントを主催していただけたり、各章ごとの対策について登壇発表してくださった、なかじさん、はいえろさん、Suzukiさん、しらいはかせさん、本当にありがとうございます。
特に最後の白井先生の内容は、これそのものが最先端の研究に関する講義と言って間違いないほどのものでした。本職なんですからそりゃそうなりますよね。この講義が無料で受けられる奇跡ですよ。

さて、その白井先生の講義の中で出てきた忘れられない言葉に
「経験が強いお年寄りは、折れる」
というものがあります。

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経験が強いお年寄りは、折れる

この言葉は教科書の内容でいうところの「感覚の補綴と拡張」に関する部分で出てきました。

VRは人工的に作った感覚刺激によって、存在しないものでもあたかも存在するかのように近くさせる技術であるので、失った感覚でもVR技術を上手く利用すれば失う前の感覚を想起させ得る。
さらに、ICT(情報通信技術)とVRを駆使することによって臨場感のある五感コミュニケーションができるようになり、感覚の拡張を促す。
バーチャルリアリティ学」330ページより引用

感覚の補綴というのは、他の感覚をもって補いたい対象の感覚であるとみなすように脳を訓練するということで、たとえば視覚が衰えた人が触覚で情報を得られるようにするというケースでは、体のどこにどのぐらいの刺激が来たら、どの程度の振幅と波長の光をどの方角から見たのと同じように感じるよう訓練する、といった話ですね。
少なくとも教科書内では、ほとんどはリハビリの文脈で使われていました。
訓練によって、若い人は柔軟に脳の神経を構築して対応できるのだけれど、「経験」によって神経が出来上がってしまっているお年寄りはうまく対応できない。そして、折れる(精神的に)ということ。
そういうのは、15年ぐらい前の学会ならばともかく、もうここ最近は現場では常識となっているよーというお話でした。

そりゃまあ、ゲームやっても勉強やっても薄々分かってはいることですよ。当然、VRだってそうなります。
しかしそれを目の前にはっきりと突きつけられるのはなかなかつらいものです。つらいと言ったところで別にどうにもならないので普段口にはしませんけど。

意外と折れてない?

先述の「感覚の補綴と拡張」は、まさに日本人VRChatter用語で言うところの「VR感覚」のことです。上記の例では触覚→視覚でしたが、触られているVR感覚だと視覚→触覚、匂いだと視覚→嗅覚ですね。
憧れのVR感覚を手に入れ、理想の現実をより自分にとっての実質現実にするには、この「経験が強いお年寄りは折れる」をガン無視して訓練するという強い精神力が必要です。
訓練するまでもない被暗示性の天才もいる(やっぱり若いほど多い)のですけど、それはそれで妬んでも仕方ないです。

存在しない感覚を感じ取る力、被暗示性を高める訓練のための教材としては、催眠音声が一般的でしょう。ここ10年ぐらいでとても増えました。
催眠音声については、本当に出来の良いものはよく練り込まれたスクリプトで舌を巻くばかりなのですが、やはり聴覚からの入力のみなのでそこそこハードルがあります。
翻ってVR空間で過ごすことの場合は、そこに全方位シームレスな動き回ることのできる空間や自身の体という視覚からの入力が加わります。これはとても強いです。
何せ、可愛いアバターになって鏡の前で自分可愛い自分可愛いと思って可愛いポーズを取っているだけで、ごく自然に自分が可愛くなったように思えるのですから。

少し前に一部界隈で流行った、下條信輔さんの『<意識>とは何だろうか』という書籍に、「知覚の順応」に関する詳しい記述があります。
最初に例として挙げられる視覚の順応に関しては、詳しく書いているとキリがないので雑に言いますが、赤い色眼鏡をかけてしばらく過ごした後に外してから白いものを見ると緑色に寄って見える的なアレです(正確には順応した後の残効なんだけど雑な話なんでご容赦を)
上記の話は純粋に肉体的なものですが、同様のことが社会的な場面・出来事に対することにも同様に起っていて、社会的な意味での順応と身体的な意味での順応は実は同じものなのかもしれない、という話がとても興味を惹くところでした。

私が何度か冗談めかして言っていた
「真実の私はアバターの通りの美少女なのですけど、基底現実のオフ会には空間の制約上やむなく汚いおじさんを派遣します」
という言葉も、脳の中では(あるいは将来、電子情報の生命体もどきに昇華することができれば)、それが真実なんだよという気持ちが込められています。

10年前なら戯言だと思っていましたが、これが決して戯言だけで終わる話ではないということは現在VRにどっぷりとハマっている人々には実感を伴ってよく分かることだと思います。
そして私にとっての「かわいい私」というブレない自己認識は2020年3月7日、寺井さんに理想の姿を作ってもらえたあの時に完成しました。
その後も「かわいい」と言ってくれる人たちのおかげで、その順応は不動のものになっています。

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大宮です。どう見てもかわいい。

少なくともHMDを被っている間においては、この大宮の姿こそが間違いなく私の真の姿ですし、スクショやVpocketを上げている時にも「これは私だ」と認識しうるに至りました。

社会的な順応がVの中で出来上がっていることはともかく、基底現実にあっても真の自分の姿が大宮の側に吸い寄せられていることは、社会通念上は危惧しなければいけないのかもしれません。
ただこれについては、特に問題ないだろうというのが現時点の私の見解です。ボロを出したら社会的に拙いというだけの話でしょう。
今はまだ基底現実の肉体が基底現実社会にとっての真実の肉体だからそこに妥協しているだけであって、自分の脳の中ではかわいい姿が自分にとっての真実であってもいいのです。

なんだ、自分は意外と折れていないじゃないか。学会の統計、恐るるに足りず。
まあそもそも、言及されている「お年寄り」はもっと高齢者寄りの話なのかもしれないのですけどね。

VR嗅覚が芽生えた話

VRChatを始めて2年弱、プレイ時間800時間ぐらいから、ようやく嗅覚について少し解るようになってきました。
VRの美少女たちはそれぞれが微妙に違った良い匂いがします。してなくても「する」と、ここの文章でも表明します。
これは頭を嗅がせてくれる人に「良い匂いがする~」と表明していたことが、自分にとって一番の暗示になったのだろうと思っています。
催眠音声のスクリプトではユーザーに復唱させることによって暗示を定着しやすくしているものが多く、そのことを思い出しました。
もう少し健全な言い方をすれば、英語の勉強をする際に音読が効果的というあれです。

VR嗅覚は、自分の積極的な行動によってようやく得た順応なので、大事にしたいと思っています。誰彼構わず頭嗅がせろと頼むのは非常にキモいのでやりませんけど。
今のところ人の頭からは、柔らかい匂いと抜けるような匂いを感じ取ることができています。もう少し訓練を積めばバリエーションも増えることでしょう。

あまりまとまってないけど以上

以上。