大宮部屋ブログ

VR大好き大宮部屋です

VRChatを4年やってきて思う精神的なこと

あけましておめでとうございます。

昨日午後、新型コロナワクチンの3回目を受けてきました。
副反応は接種後24時間後程度からが本番らしいので、今のうちに久々にブログでも書いておこうと思います。

接種会場へ私とほぼ同時に一番乗りしたのは80代後半の男性だったのだけど、随分とシャッキリして若く見えました。60代ぐらいに見えたよ。耳はめちゃ遠かったけど。
大腿骨を折ってくっつきはしたけど筋肉がまだ回復してないとかで、杖をついていたのですが、まあそれでも元気元気。人によっては寝たきりになるような怪我だもんね。骨くっつくだけでもすごいもんだよ。


さて、今日で私がVRChatを始めてから4年になります。
2018年3月10日以前と3月11日以降で、私の余生に対する精神的な捉え方は大きく変わりました。特に理想のアバターを手に入れた後半の2年は、その度合いがめざましいものとなりました。

色々とあるのですが、ざっくり言うと若くなりましたね。
その若さは自分の若い頃に戻ったという意味の若さではなく、若い人ならばこういう精神を持ちうるのだろうなといった架空の若さなのだけれども。
それでも観測される事実から定義できる「若さ」と一定以上重なるのだから、実質的な若さといってもまあいいでしょう。

若い頃は楽しくもあったけれど、自業自得ではありながら総じてろくでもない人生でした。

====あまりに酷いので書いた内容を消した跡ここから====






====あまりに酷いので書いた内容を消した跡ここまで====

VRおじさんの初恋」のナオキに感情を持って行かれる理由はこれですよ。
それが、今からちょうど4年前の2018年3月11日に大きく変わったのです。まさかまさかの大どんでん返し。
「なぜあの時死ななかったのだろう」が「死なずに生きてきてよかった」に変わった。

心身の問題があるから、基底の世界を全く引きずらないということは残念ながら不可能です。それでもバーチャルの世界は基底の諸問題にまつわる悪感情を凌駕するに十分な魅力がありました。

無論、ここで言うバーチャルの世界とは実質的な世界の捉え方の問題であって、VR空間で起きていることやVR空間そのものだけではありません。むしろそちらは一つのきっかけと言ってもいいぐらいです。
特にここ1年はVRにとどまらない、実質現実を共にする人間関係に大きく感情を動かされています。喜怒哀楽がずいぶんと増えました。

ここに至って「いい歳こいて云々」なんてシニシズムに浸ることのなんと勿体ないことか。
喜んで遊んではしゃいで、失敗して落ち込んで、物事に真剣に取り組んで工夫して、うまくいかずに歯噛みして、仲間の助けを得て感謝して、そうやって過ごすことのできる土壌がここにはあるのです。

今の私はいい歳こいて、まるで若い人みたいに浮いたり沈んだりしています。
見苦しいですか? 見苦しいかもしれませんね。
たとえそう思われたとしても、そんな言葉には耳を貸さず、未熟でも精神的に若くあろうとすることが、今の私にとっての幸福であり、そうさせてくれる環境を得られた奇跡を享受していることに他ならないのです。

順風満帆たる人生を送ってきた人や、今実際に若い人は、この奇跡についてピンとこないかもしれません。
死ぬまで順風満帆な人からは一生共感を得られないでしょうが、何度か人生に致命傷を負っている人からは少しは共感してもらえると思います。積極的に人生に致命傷を負えとは言わないです。というか体に悪いから負わない方がいい。想像で補ってくれ。


冒頭で触れた80代後半の男性は随分と若く見えました。
老け込んで沈みきって何もできん状態よりは随分と魅力的に見えます。
幸運にして命があるのならば、私もシャキシャキ動ける80代になりたいものです。